【備忘録】ハープーンの台本の要約

ボーイング、ハープーンについて説明をする。ハープーンというのは、アメリカのマクドネルダグラス社が開発した対艦ミサイルで、フランスの対艦ミサイルであるエグゾセと西側諸国の市場を2分するベストセラーだ。海上自衛隊でも採用されたことがあり、90式艦対艦誘導弾はその後継だ。

 

名前の由来だが、ハープーンは日本語で銛といい、大きな魚やクジラなどの漁に使われる漁具だそうだ。浮上した潜水艦のことをクジラと呼んでいたらしいので、ミサイルを銛に例えたのかもしれない。

 

ハープーンはプラットフォーム別に分けて以下の三種類がある。米軍では、艦対艦型(SSM)はRGM-84、潜水艦発射型(USM)はUGM-84、空対艦型(ASM)はAGM-84として制式採用されている。他にはデンマーク海軍などが、艦対艦型をトラックに搭載して地上発射型としたものを運用していた。

 

今日では米海軍の航空機、潜水艦、艦船のみならず、空軍のB-52Hなどの航空機や世界二十数か国の軍で運用されている。

 

開発

 時は1965年、アメリカ海軍航空システム軍団は、ブルパップミサイルの後継として、浮上した潜水艦を攻撃するための射程45kmクラスのミサイルの研究を始めた。

 

このころは東側の原潜が増えてきたことや、潜水艦は水中活動が常態になってきたことから、艦対艦で運用することも想定されていたらしい。

 

そして、1967年にソ連製の対艦ミサイル、P-15テルミートによってイスラエル駆逐艦が撃沈されたエイラート事件が発生し、それまで対艦ミサイルの脅威を認識していなかった米海軍の高級将校たちに衝撃を与えた。

 

当時はまだ対艦ミサイルの黎明期で、海軍内では航空機から戦術核爆弾で攻撃する方がいいという意見もあったらしい。

 

1970年、この事件を受け水上艦艇に更なる打撃力を与えることを目的としたProject Sixtyの一環として、当時海軍作戦部長だったエルモ・ズムウォルト海軍大将が主導して、ハープーンの開発を加速させた。そして1977年、遂に最初のハープーンが納入された。それにより従来は空母の攻撃機が担っていた対艦攻撃などの任務を、ハープーンの配備によって駆逐艦巡洋艦フリゲート艦、潜水艦が担うことが出来るようになった。

 

次は構造を見ていこう。ハープーンの胴体は円筒形で空中発射以外は固体燃料ロケットブースターを備えている。潜水艦発射型はカプセルに入れられており、水面を飛び出した後に分離する。

 

ハープーンの先端にはシーカーと誘導装置が詰め込まれている。そして誘導装置の後ろには弾頭がある。これは半徹甲弾頭で、弾頭自体の重量は220kg、炸薬量は100kgだ(ハープーン全体の重量は500-690kg)。

 

弾頭の後ろには燃料タンクとダクト、巡行用のターボジェットエンジンがある。画像から見てわかる通り、非常にコンパクトだ。このエンジンTeledyne CAE J402で、燃料はjp-10を使用する。

 

運用

次は実際にどのように動作するのかを見ていこう。最初は艦船発射型だ。最初に目標がいると思われる方位、距離をミサイルに送信し、その方位に向けて発射する。他に大まかな方位のみを入力して発射する方式もある。これはBearing-Only Launchという発射方式で、指定の距離を飛行した後にシーカーを作動させて索敵、何かを捉えたらそれに突入する。

 

発射後、ロケットブースターで加速し、分離後はターボジェットエンジンでの巡行に切り替わる。このとき、最高速度マッハ0.85(約1000km/h)でシースキミングして飛行する。入力された距離を飛行したらミサイルのシーカーで目標を捉え、ホップアップして突入する。

 

最初期はホップアップ、ブロック1Bはそのまま突入のみだが、新しいのはホップアップするかを選択できる可能だ。また、高高度を巡行することで飛距離を大きく伸ばすことが出来る。尤も、亜音速なので確実に撃墜されるだろう。

 

最後は空中発射についてだ。艦船と違って航空機は特殊なので、ここでは発射するまでの過程を説明する。

 

まず敵艦を発見したら高度を下げ、敵のレーダー地平線の下に隠れてハープーンの射程まで接近する。この段階で安全装置の解除等、ミサイルの発射準備を完了するが、先に取得した方位や距離のデータを修正するため上昇し、レーダーを用いてターゲットの情報を得てから再度レーダー地平線の下に隠れる。この間わずか数秒で、ハープーンにデータを送信後すぐ発射できる。

 

なお、ハープーンを切り離してからエンジンが作動するが、決められた速度・高度を下回っている場合は、パイロンでエンジンを作動させる仕組みになっている。

 

実戦

大国同士の戦争は発生していないので、戦果は巡視艇のような小型艇が多い。例えば、イライラ戦争で、アメリカがイラン海軍のフリゲートを撃沈したことが有名だろう。リビアなどでも使用されたがここでは割愛する。

 

他に戦果ではないが、デンマーク海軍が住宅地に誤射したり、米海軍の試験海域に迷い込んだ商船にダミー弾頭のハープーンが撃ち込まれたこともある。前者はただの事故であるが。

 

現代のハープーン

近年は空母キラーとか超音速対艦ミサイルが増えているのをよく耳にする。アメリカはいつまで亜音速のハープーンを使い続けるのだろうか。

 

その理由として挙げられるのは、アメリカは対艦ミサイルに汎用性をもたせたいから、自然と性能も制限されたということだ。元々、原潜の533mm魚雷発射管から発射できるよう設計された。そのために直径が343mmとコンパクトで、高性能なジェットエンジンを積めなかったと言われている。

 

しかし、コンパクトかつシースキミングにより飛翔することで、レーダーに映りにくいということから、亜音速でも特に問題なかったりするらしい。

 

近年では、米海軍内部からの対艦攻撃能力の見直しの声を無視できなくなったのか、ハープーンの後継とされるLRASMなど、対艦攻撃能力の強化に予算を付けたようだ。しかし、これも亜音速ミサイルとなるみたいだ。アメリカ軍は超音速対艦ミサイルの開発をするつもりがないのかもしれない。

【軍事】最後の有人戦闘機(F-104)について

テスト投稿になります。このブログでは、動画サイトに投稿した動画の台本を要約する予定です。

 

さて、今回はアメリカのロッキード社が開発したF-104スターファイターついて、米空軍を中心に軽くつぶやきます。

 

開発のきっかけ・前章

時は朝鮮戦争ロッキード社の航空機設計者である、クラレンス・ケリー・ジョンソンが戦場に訪れた。彼は戦闘機の設計についての意見を現場に尋ねにきたのだ。

 

当時はMiG-15戦闘機が登場した時期であるが、米軍の最新鋭戦闘機、F-86セイバーと比べて上昇性能が優れており、上昇で逃げられるということが発生した。

 

そのため、パイロットたちは、高い上昇性能と運動性能をもった戦闘機を要望した。上昇力のためなら、装備を削っても構わないと言ったそうだから驚きだ。

 

クラレンス・ケリー・ジョンソンのチームは本国に帰国後、高い上昇力、運動性能をもつ戦闘機のスケッチを書き始めた。

 

様々な案が考えられたが、初期の案では重量が23トンもあったのは驚いた。最終的には3.6トンと大幅に軽量化、小型化している。因みにF-104の重量は約6トンだ。

 

開発

Tu-4などの東側爆撃機の出現で、アメリカが核攻撃をうける可能性が出てきた。これによりアメリカ空軍は、迎撃戦闘機の開発要求を国内メーカーに出し、リパブリックやノースアメリカンノースロップロッキードがこれに応募した。

 

各社が図面などを空軍に提出する形で審査がなされたが、結果的にロッキード社が受かった。現場に直接聞きに行ったのだから当然ではある。案の定、他社からずるいと抗議を受けたらしい。

 

 そして試作機を作ることになったが、搭載予定のジェットエンジン、J79が間に合わず代わりに旧型のJ65を載せることになった。J65を搭載したものはXF-104と呼ばれ、2機が製造された。

 

旧型のエンジンであったが試験をすると、細い機体形状のおかげか、他のセンチュリーシリーズよりも速く飛行できることが明らかになった。そんな機体だったが、様々な試験をして2機とも事故で失われてしまった。貴重な機体であるだけに残念だ。

 

そして試作機の製造から約一年後、J79を載せたYF-104が発注された。試作機と量産機を比べると、全長の違いやショックコーンがないことが目を引く。

 

量産機は、固定武装にM61バルカンを左側面に装備、翼端にサイドワインダー9Bかチップタンクを装備する。

 

運用について

アメリカ空軍に配備後、台湾海峡危機やベルリンの緊張が高まったことで世界各地に展開された。べトナム戦争では、アメリカ空軍の戦術航空軍団にC型とD型が配備され、戦闘空中哨戒や戦闘爆撃機の護衛、対地攻撃などに従事した。

 

当初は、その速さから空中戦闘機動ではほぼ無敵であると評価されたが、北ベトナム空軍の戦闘機と交戦する機会は訪れず、SAMに撃墜されたり、航法ミスで中国の領空を侵犯してしまい、J-6(MiG-19)に撃墜される事態が発生した。結局、部隊は一年ほどで引き上げてしまった。

 

おわりに

米空軍の最終的な評価としては、短い航続距離や武装の少なさが問題視された。しかし、この評価は開発コンセプトと運用があっていなかったせいだと考える。

 

事実、迎撃性能を重視した国では、上昇性能などが高く評価され、ヨーロッパ諸国も含め15か国で主力戦闘機として採用、ライセンス生産含めて計2500機以上が生産されたベストセラー戦闘機になった。