【軍事】最後の有人戦闘機(F-104)について

テスト投稿になります。このブログでは、動画サイトに投稿した動画の台本を要約する予定です。

 

さて、今回はアメリカのロッキード社が開発したF-104スターファイターついて、米空軍を中心に軽くつぶやきます。

 

開発のきっかけ・前章

時は朝鮮戦争ロッキード社の航空機設計者である、クラレンス・ケリー・ジョンソンが戦場に訪れた。彼は戦闘機の設計についての意見を現場に尋ねにきたのだ。

 

当時はMiG-15戦闘機が登場した時期であるが、米軍の最新鋭戦闘機、F-86セイバーと比べて上昇性能が優れており、上昇で逃げられるということが発生した。

 

そのため、パイロットたちは、高い上昇性能と運動性能をもった戦闘機を要望した。上昇力のためなら、装備を削っても構わないと言ったそうだから驚きだ。

 

クラレンス・ケリー・ジョンソンのチームは本国に帰国後、高い上昇力、運動性能をもつ戦闘機のスケッチを書き始めた。

 

様々な案が考えられたが、初期の案では重量が23トンもあったのは驚いた。最終的には3.6トンと大幅に軽量化、小型化している。因みにF-104の重量は約6トンだ。

 

開発

Tu-4などの東側爆撃機の出現で、アメリカが核攻撃をうける可能性が出てきた。これによりアメリカ空軍は、迎撃戦闘機の開発要求を国内メーカーに出し、リパブリックやノースアメリカンノースロップロッキードがこれに応募した。

 

各社が図面などを空軍に提出する形で審査がなされたが、結果的にロッキード社が受かった。現場に直接聞きに行ったのだから当然ではある。案の定、他社からずるいと抗議を受けたらしい。

 

 そして試作機を作ることになったが、搭載予定のジェットエンジン、J79が間に合わず代わりに旧型のJ65を載せることになった。J65を搭載したものはXF-104と呼ばれ、2機が製造された。

 

旧型のエンジンであったが試験をすると、細い機体形状のおかげか、他のセンチュリーシリーズよりも速く飛行できることが明らかになった。そんな機体だったが、様々な試験をして2機とも事故で失われてしまった。貴重な機体であるだけに残念だ。

 

そして試作機の製造から約一年後、J79を載せたYF-104が発注された。試作機と量産機を比べると、全長の違いやショックコーンがないことが目を引く。

 

量産機は、固定武装にM61バルカンを左側面に装備、翼端にサイドワインダー9Bかチップタンクを装備する。

 

運用について

アメリカ空軍に配備後、台湾海峡危機やベルリンの緊張が高まったことで世界各地に展開された。べトナム戦争では、アメリカ空軍の戦術航空軍団にC型とD型が配備され、戦闘空中哨戒や戦闘爆撃機の護衛、対地攻撃などに従事した。

 

当初は、その速さから空中戦闘機動ではほぼ無敵であると評価されたが、北ベトナム空軍の戦闘機と交戦する機会は訪れず、SAMに撃墜されたり、航法ミスで中国の領空を侵犯してしまい、J-6(MiG-19)に撃墜される事態が発生した。結局、部隊は一年ほどで引き上げてしまった。

 

おわりに

米空軍の最終的な評価としては、短い航続距離や武装の少なさが問題視された。しかし、この評価は開発コンセプトと運用があっていなかったせいだと考える。

 

事実、迎撃性能を重視した国では、上昇性能などが高く評価され、ヨーロッパ諸国も含め15か国で主力戦闘機として採用、ライセンス生産含めて計2500機以上が生産されたベストセラー戦闘機になった。